Masao TakedaLEGACY EDITION

LEGACY · 72

Masao Takeda

新潟 → 東京

娘のEmiには「父が仕事をしている写真」としか分からなかった一枚。正夫本人に聞くと、そこには人、技術、失敗、誇りが残っていました。

架空の人物・エピソードです。実在のお客様の記録ではありません。

NOW

いま、聞けること

72歳。仕事を離れてからは、朝に新聞を読み、古いラジオを直し、孫が来ると工具箱を触らせないようにしながら結局一緒に開けています。

家族が知っている「印刷の仕事をしていた人」の中に、本人だけが説明できる細かな世界が残っています。

画像は架空の仕事場を描いた再構成で、当時の原写真ではありません。以下は物語の設定上の原写真についてです。 1986年頃とみられる仕事場の写真。正確な撮影日は不明。右端の人物はまだ特定できていません。

ONE PHOTOGRAPH

写真は残っても、仕事の意味は残らない。

Emiはこの写真を「父の職場」とだけ覚えていました。正夫は左にいる人をHiroshi Shibataだと教え、二人が故障した印刷機を何度も分解して直したことを話しました。

機械の型式や正確な場所は今も未確認です。それでも、誰と働き、何を怖がり、何を誇りにしていたのかは、本人の言葉から残せます。

WORK / CRAFT

「印刷会社勤務」の中にあった仕事。

SOUND

音で不調がわかる

紙の送りが少しずれたとき、機械の音が変わる。正夫は「耳で先に気づく」と話します。

PERSON

Hiroshi Shibata

年上の同僚。怒鳴る人ではなく、失敗したときほど工具を置いて順番に説明する人だった、と覚えています。

PRIDE

止めないこと

派手な成果より、納期の日に機械を止めず、紙を無駄にしないことを誇りにしていました。

PLACES

新潟から東京へ。

新潟で育ち、高校を出て東京へ。最初は親戚の紹介で倉庫の仕事をし、その後、機械を触れる仕事を探して印刷の現場に入りました。

当時の工場は東京東部だったと本人は覚えていますが、写真の建物がどの住所だったかは未確認です。場所を断定せず、「東京東部の印刷工場」として残します。

WHAT WE KNOW / DO NOT KNOW

確かなことと、まだ確かでないことを分ける。

確認できた
左の同僚はHiroshi Shibata。印刷機の修理を一緒に担当していた。
おおよそ
写真は1986年頃。家族アルバムの並びと当時の勤務時期から推定。
未確認
工場の正確な住所、機械の型式、右端の人物の名前。

TIMELINE

人生を、仕事だけにしない。

  1. 新潟で生まれる

    雪の多い町で育ち、家の道具を勝手に分解してよく叱られる。

  2. 東京へ

    仕事を求めて上京。倉庫勤務を経て、機械を扱う印刷の現場へ。

  3. この写真の頃

    Hiroshiと同じ班で、古い機械を止めない工夫を覚える。

  4. 娘に話す

    Emiが持ってきた写真を見ながら、初めて仕事場の人たちの名前を一つずつ話す。

FOR FAMILY

Emiと、その先の家族へ

仕事は、うまくいった日より、止まりそうな日に誰とどう直したかのほうを覚えている。家族のことも、たぶん同じだと思う。

本人が話した範囲だけをEditionに残す想定の架空サンプルです。